はるかの1人暮らし奮闘記

2015年から1人暮らしをはじめました。遥が悩んだり、色々チャレンジする!自立して、マックを毎日食べられる生活を目指しています。

部活がブラック?

こんばんは!

 

正直、この記事、書くかどうか迷いました。

この件に関しては、いろんな意見があるからです。

でも、書かずにはいられなかった。

 

それが良いとか悪いとか、そうゆう話ではない。

ただ、これは私の過去だし、記憶だし、意見です。

そう思って読んでいただければと思います。

 

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先ほどインスタの投稿を見ていたら、気になる投稿が。

 

「みんな先生のブログ見た??」

「私は市船が好きなのに〜〜!」

 

高校の頃の顧問のブログのことだと思う。

様子を伺ってみると、どうやら市船のアンチが現れているようだ。

 

中には、「市船新興宗教」という人もいたらしい。

 

かなり過激な発言であると思う。

でも、気持ちがわからなくもない。

 

私は高校の頃に最高の体験をしたし、その分、最悪な体験をしたこともある。それは、どちらの経験にしても、私が市船に行ってなければ経験できなかったことだ。

 

高校3年間の私は、体力や気持ちの9割を、部活につぎ込んだ。

本当に、ほとんどが、部活だった。

 

あそこまで熱く、思いを込めて、時間をかけて何かをしたのは、それが初めてだった。最高に楽しかった。

 

舞台に立って演奏するときの爽快感、人前で踊るときの高揚感、メイクをして衣装を着て自分じゃないみたいな自分になれた。練習で汗をかいて、保護者の方が作ってくれたご飯を食べる。最高に美味しかった。夜遅くまで練習して、みんなで今後のことを話し合ったりして、深夜後輩が寝ている脇をソロソロ歩いて床についた。布団の中で、こっそりipodをつけて絢香を聞いた。朝ごはんはみんなで床にベタ座りで食べる。朝マックの時はテンションが上がったな。そのまま授業に行って、放課後はまた部活。いつも音楽やダンスのことを考えていた。

 

今思い出しても鳥肌が立つ。

皆で演奏した音楽は忘れられないし、あの人数であの一体感を味わうことは2度とないと思う。本当に、貴重な体験だった。

 

それほどまでに、皆が熱い想いを持って、一体となって演奏・ダンス・演劇を繰り広げた。それを指導する先生方も素晴らしいし、生徒も最高だ。だからこそ、引き込まれる人がいて、見ていて感動したり、何かを感じ取ることができる。

ファンが生まれるのだ。

 

 

楽しい思いも沢山したけど、私はその2倍くらい、辛い思いをした。

 

「ぽにょ、吹かないで」「そこカットね」

「は??何してんの??笑」

「音程あわない。」

 

自分なりに全力を尽くしていた。でも皆んなと何かが違うらしい。

絶望的に、音が合わなかった。

 

ダンスもそんなにうまくなかった。下手でもなかった。

下手ではないけど、何かが違うらしい。

 

今思うと、悲惨だ。自信が死ぬほどになかった。

自信がないから、堂々と吹かない。人に合わせようとする。

さらにカットされる。

しょぼしょぼと練習する。

相変わらず高い音も出ない。

さらに自信がなくなる。

常にビクビクしながら、怯えながら吹いていた。

そんな楽器の音を誰が聞きたかっただろう?

 

負の連鎖。

それを断ち切ることができなかった。

断ち切るきっかけも作れなかった。

 

完全に消化不良で、卒業した。

 

だから、高校を卒業して、大学に行って、束縛から解放された感じがあった。

その時に、私は、人生で初めて「こんな自由な人生があったのか」と感激した。

そして、案外自分ってやつは、できる子かもしれない、と思えた。

 

授業は出なくても良い。

完全に個人プレーだから、みんな自由だ。

友人が私を見下したりしない。バカにしない。

自分を卑下する必要が一切なくなった。

むしろ、勉強はある程度できたし、地学に関しては高校の頃に叩き込まれていたので、みんなより勉強ができた。

すごい楽しかった。

心が潤っているのを感じた。

 

高校の頃は、干からびていた心を必死に潤していた。

大学に入ってからは、潤った心に色をつけることができた。

 

自分らしさや、自分の好きなことを極める楽しさを知った。

 

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市船」の部活は、吹奏楽部は、ある意味で閉鎖された空間だったと思う。

そうゆう意味では、外から見たら「宗教」みたいに見えるかもしれない。

 

でも、その「市船」での経験をした人は、アンチにならない(と思う)。

「そこ」での経験が素晴らしい面を持っているということを知っているから。

 

アンチはきっと、完全に外部の人だろうと思う。

そもそも「新興宗教」の意味わかってんのか?笑

過激すぎるけど、アンチってそうゆうもんだよなぁ。

 

 

ただ、あの「閉鎖感」はどうにかならんかなぁと思う。

 

いつだか忘れたけど、部活を辞めたいって子が3人くらい現れた。

その時の対応は、今思うと本当に酷だったと思う。

 

3人が辞めるのを阻止するために、何回も何時間も学年全員でミーティングした。

辞めたくない側からすれば、なんで辞めたいのか検討がつかないのである。「なんで辞めたいの?」「人間関係が嫌なの?なにが嫌なの?」「何かを改善すれば良いんでしょ?何が嫌か教えて??」っていうことになるんですよ。これが完全に良心からきているのが、ちょっと怖いところで。嫌味とか、一切ないんですよ。わからないから、解決できると思っているから。

でも、今は辞めたい側の気持ちがわかる。辞めたい人は「とにかく嫌」なのだ。部活という行為そのものが嫌になったんだと思う。全ての要素が合わさって、総合して「嫌」なのだ。嫌だったんじゃなくて、違う事がしたかったのかも知れない。とにかく、何かを辞めるのには相当な勇気がいる。その3人は勇気を振り絞って辞めようとしていた。

 

当時それを知らなかった私は、辞めたい3人に対しての退部阻止ミーティングに参加した。それが一番良い、みんなで卒業するのが一番良い、退部する人が出ない方が良い、そんなことばかり考えていた。辞める理由がわからなかった。辞めるにを阻止したかった。それが「良い事」だから。そう先生が言っていたし、それを私も信じていた。

でも辞めたい側からしたら、どうだろう?辞めたいって言ってるのに、辞めさせてくれない、引き止めてくれるのは、はじめは嬉しいけど、だんだんウンザリすると思う。なんのためにこの人達は話し合いをしてるんだろう?辞めたいって言ってんじゃん。なんで分かってくれないの??

 

結局、3人は辞めた。

 

あの時、私たちはその3人の思想を潰してしまったのではないか?そう思うのです。部活を辞めたいなら、辞めればいい。本当に嫌じゃなければ、また戻ってくると思う。それを嫌がる人もいないし、きっとみんな受け入れてくれると、私は思う。逆に、辞めたからその人にとっての大切な事が見つかるかも知れない。

 

あの時の私たちには、もっと広い視野が必要だったと思う。

 

こういったことを思い出すと、新興宗教と言われるのも否めない。

あの閉鎖空間は、独特な考え方や行動が生まれているから。その思想がみんなの当たり前になるので、それから外れてしまうと、かなり辛い。自分はダメだ、使えない、そんな気分になる。少なくとも私がそうだった。

 

1つの考え方で、みんなで揃えば、統一することができる。

でも、その1つの考え方がなんだか怖いなぁって思うんです。

 

『いろんな考え方がある』ってこと、それを「想像」したり、「聞い」たりして、「理解」する。そんな広い視野を持つ事。

これがす〜〜〜〜ごい大事だと思うんだよね。

 

たくさんの考えを知るきっかけがあるような、

解放的な空間にできたらなぁ、なんて私は思う。

 

 

でも、私にはまだわからない。

何が正解なのか、みんなが幸せになる方法を知らない。

これはきっと一生わからないのだけれど......

 

少なくとも、私が幸せであって、

私の周りの人が幸せであればいい。

という事くらいしかわからない。

 

何が言いたいのかよくわかんなくなってきた。

 

総合していえば、部活は変に閉鎖されすぎじゃん?って思った。ってことかな。

 

うう〜〜ん。難しいね。

 

 

今日は眠いのでこの辺でおわり!!

少しモヤモヤするけど、言いたいことは言えたかな。

 

おやすみなさい。

 

はるか